看護師出身の米職人

美味しいと食べてくれる人がいる。それが、お米づくりの原動力です。

生産者(淡路市) 脇田 博久さん

看護師から農家へ転身。今度は、お米で人を支えたい。

私は、農家になる前は看護師だったんです。看護師の道に進んだ理由は、人を支える仕事がしたいという想いからでした。医療業界でしばらく働くうち、今度は人の生活に欠かせない「お米」をつくることで人の役に立ちたいという想いが強くなり、35歳の時に農家に転身しました。

私が住んでいる淡路島北部は、南部よりも土の粘度が高く、肥料の滞留期間が長いため、良質なお米が育ちやすいという特長があるんです。こうした理由もあって、比較的恵まれた環境でお米づくりをスタートさせることができました。

試験田を引き受けたのは、新しいことに挑戦するのが好きだったから。

お米づくりを始めてしばらくの間は、良質なお米がたくさん穫れていたんですが、近年の温暖化によって状況が一変しました。高温障害のために米粒が白く濁る現象が多発し、いわゆる“出来の悪いお米”ばかりになってしまったんです。

このままではいけない、暑さに強いお米をつくらなければーそう考えていた矢先、県の普及センターの職員さんから「新ブランド米の試験田をやってみませんか」との打診をいただいて。もともと新しいことに挑戦するのが好きな性格だったこともあり、新米農家の気持ちで思い切って引き受けることにしました。

まったく同じ育て方なのに、品質が段違い。

新品種を育てて何より嬉しかったのは、一等米を生産できたことです。お皿に移した瞬間からピッカピカに光っていたので、もしかすると別格のお米ができたのではないかと予感していました。また、品質が向上しただけでなく、収穫量もキヌヒカリと比べて1.3倍ほどになったんです。同じ田んぼで同じ肥料を使っているのに、こんなに品質と収穫量に違いが出るのかと心底驚きましたね。

やっぱり、お米づくりは面白い。まだまだやめられない。

前職の経験もあって、私は些細な情報も記録に残すようにしています。稲を何センチ間隔で植えたか、稲がどんな育ち方をしているかなど、一つひとつの記録が新品種を育成する上で大いに役立ってくれました。

私は今年で70歳になりますが、この年齢まで続けてこられたのは、やっぱり“お米をつくるのが面白い”からですかね。自分が楽しみながら育てたお米を、美味しいと食べてくれる人がいる。そのことを想像するたび、まだまだお米づくりはやめられないなと思います。